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Itsuro
Shimoda
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- 17歳の時にはじめて唄をつくった。
それからなんだかんだあって50歳。いまだに唄をつくっている。
よく飽きないもんだと思う。いや飽きたことはあった。そのたびに逃げた。唄がつくれなくなるとその時居た処から逃げた。
逃げる体力も気力もない時は自分の中に隠れていた。
君たちに僕の唄はわからないと必死で隠れた。自意識だけは傷つかないように他人の意見など聞かないようにした。
自己愛が、蘇生しはじめたら性懲りもなくまた唄をつくりはじめた。
唄をつくって唄うことで暮らしが成り立つようになった。
唄という実が、虚という現実とつながったような気がした。いや、唄という虚が、実という現実にとり込まれたのかもしれないと気づいた時また逃げた。
どこからどこへ逃げようとしているのかすっかりわからなくなった。
自意識も自己愛もくたびれ果てたようだった。
唄をつくることと暮らしがいちど切れた。
それでも再び唄をつくっている自分がいた。
なんなんだろうとちょっと考えた。それが10年程前だった。ちょっとだけしか考えなかったから何もわからなかった。
なんだかポツンとひとりぼっちだったから唄をつくった。
何も考えないで唄だけをつくった。
唄がひとつできたらひとつ旅ができるようになった。もうひとつできたら誰かと出会えた。
ぐるっと自分に舞い戻って来た時にまた唄がひとつできた。
リサイクルみたいなもんだと思った。そう気づいたら、なぜだかまた飽きた。例によって逃げようと思った。思ったけど逃げるところはなかった。
なんだかホッとした。
しばらくボケッとしていた。そしてまた唄をつくった。
なんという極楽トンボだろうと思う。でもそれでここまで来てしまった自分を許すことにした。もう自分をほおっておくことにした。
まったくなんてことだと思った。そしてそれを唄にした。
何してるんだろうから何してきたのかながやってきた。ふりかえってみたけれど、何も見えなかった。
でもいくつかの顔が浮かんだ。そしていくつかの唄が聴こえてきた。その顔と唄のむこうの景色が浮かび上がってきた。
それらは何枚かのレコード、CDとなって残されていた。それが何なのかは、今もわかりません。
でもひょっとして、私の物語から旅立ち、同じように旅立った違う物語とであえたりしたら、こんな嬉しいことはありません。
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