ひとひら通信1998/秋



「PARIS 湯玉 HAWAII」&「いきのね」
レコーディング日誌 下田通信所 所長 西谷千里


下田逸郎がニューヨークで活躍していた頃を、私は知らない。「今、再びの世界へ!」所長の秘めた夢。 それがこんなに簡単に、こんなに楽しく実現しようとは・・・・。

言葉---下田語がまず英語に訳されて、それからフランス語、中国語、ハワイ語へと、世界の美しい響き、 美しい言葉になって、又新しい唄に生まれ変わった。
 


セクシィがシャンソンに

目前にひかえたワールドカップの混雑を避けて、パリへ出発。

バレンタイン(プロデューサー)、レイモンド(アレンジ&ギター)、ベルナルド(アレンジ&ピアノ)とは、花よ鳥よ風よ月よ('95 キティレコード)、水平線眺めてる('96 キティレコード)に続いて3度目のレコーディング。下田の音楽を熟知しているかのように準備万端整えて歓迎してくれた。

5月25日(月)
レコーディング1日目。
リズム体(ドラム、ウッドベース、ギター、ピアノ)。ウッドベースのミッシェルとも3度目のレコーディング。
アンラッキーというニックネームのドラマーも、昨年レイモンドが<セクシィ><ラブホテル>を。
ベルナルドが<早く抱いて><そして満月>をアレンジ。
事前に送った譜面とテープでバレンタインが決めるらしい。
「まさしく」という感じに毎回仕上がってくる。アレンジ譜が配られると、あっという間に出来上がった。

5月26日(火)
レコーディング2日目。
弦楽四重奏(第1バイオリン、第2バイオリン、ビオラ、チェロ)昨日のリズム体の上にストリングスを重ねてゆく。
昨日はミュージシャンのレイモンドとベルナルドが、指揮棒を振っている。レイモンドが「セクシィはピッチカートだ。」と指で弦をはじくジェスチャで教えてくれた。



5月27日(水)
レコーディング3日目。唄入れ。
フランス語にはバレンタインが訳してくれた。
詞も書く人なのでどうしても訳せないところは、自分で創ったという。
「こんな雨の中をタクシー走らせてセクシィになれというのか」と言う。ちょっと不安。
フランスにはラブホテルがないので、<ニュイドホテル>「ホテルの夜」になっている。<早く抱いて>はそのまま訳せたそうだ。



ベルナルドは今回、大活躍で本日は歌手である。
昔、ラスベガスでピアノの弾き語りをしていたことは聞いていたが、こんなにいい歌手だとは全然知らなかった。
「セクシィ」の完成に下田の表情が、やっと和らいだ。
バレェリィはちょっと前ネスカフェのCMを唄っていた。時々、字余り、字足らずになって中断する。譜割というそうだが、日本語の場合、基本的に1つの音が、1つの音符だけれども、どこを伸ばすか、どこで区切るかが、結構大変らしい。
バレェリィが叫んだ。「フランス語ってなんて難しいの!」と。

<そして満月>
各地で1曲、下田逸郎は日本語で参加する。プロデューサーもアレンジャーもエンジニアもスタジオの中の人間が「MANGETSU , MANGETSU」とふらんす訛りの日本語を連発している。
ベルナルドは<真上の満月>に続いての満月。
「ベルナルドと下田が大きくクロスしたなあ。」と言う下田にベルナルドが大きくうなずいた。

5月28日(木) 29日(金)
トラックダウン。
エンジニアのクリストファーが、「ボーカルをバンと前に出して!」という下田の要望に「もちろんここです。」と両手で、顔の前に輪をつくった。
「<早く抱いて>をピアノで弾いてくれないかな?」と言う下田に「OK!」とベルナルド。弾き終わってなにか言った。
キョトンとしている私にクリストファーが教えてくれた。「『パンくずを巻散らしちゃった。』ミスをいっぱいした時にフランスではこう言うんだよ。」

レイモンドの自宅に招待された。「みんなコニャック、コニャックと言うけど最高なのはアルマンヤックだ。
下田、お前とはとてもいい友達だ。」と言って1950年のアルマンヤックをみやげにくれた。


踊り子は中国語で。逸郎は「いきのね」

作品集と同時進行で、下田逸郎と内田勘太郎のCD「いきのね」も制作することに決ま った。
福岡からレコーディング機材を乗せた車と電気釜と、下田逸郎を乗せた車は山 口へ向け走った。
湯玉・・・YUTAMA 言葉の響きも字体もとても美しい。下田の海友達、堀晃氏が生ま れ育ち、今も暮らしている小さな町の名である。
今回は、堀さんの海辺のアトリエが、レコーディングのスタジオとなった。

7月4日(土)
昼過ぎ東京から、コロンビアのディレクターと中国人の歌手サージュが到着。
今は東 京に住んでいて、日本語も結構話せる。
少し遅れて、内田勘太郎氏も到着。早速「こ んな感じかな」と逸勘(逸郎&勘太郎)が、サージュに向かってギターを弾き始めた。
サージュは目を白黒させている。
彼女が知っているレコーディングとはあまりに違っ ているのか。「せぇのう」で同時録音などとは、聞いてなかったらしい。

海沿いに道が一本。その道に沿ってアトリエは、建っている。
時折、車が走る。近く の住人の立ち話も聞こえる。
といってもレコーディングだからの話であって、とても 静かな町だ。
窓から、良い風が入ってくるが閉めなければいけない。クーラーはない 。
堀さんは扇風機を3台、持ってきてくれた。

「OK、録ろう」逸勘の声でいっせいに閉 められる。扇風機も止められる。1曲終わると、急いで開け放す。
<飛べない鳥と飛ばない鳥>中国語も音が多い。
1つの音符に、3つぐらいの音が入る 。そのせいか、又、同時録音で緊張しているのか、サージュのテンポが少し遅れる。
ギターも何回も弾けるものでもない。練習用にカラオケを録ろうということになった 。



堀さんの自宅の隣に、以前のアトリエがある。
今は宴会場兼来客用宿泊所となってい る。
「あそびな」のレコーディングに参加した経験を生かし、堀さんは鍋、釜、ふと んと完璧に用意してくれた。
うまく唄えなくて落ち込んでいたサージュも、中国の生 まれ育ったところにそっくりだとすっかりくつろいでいる。
夜が深けるまで宴会は続く。
さて、お風呂でも・・・と思った時は、とっくに2時を まわっていた。

勝手口から台所を抜けて風呂場へと、進路が決まっている。
台所のテ ーブルにサージュがいた。ウォークマンを聴きながら、<踊り子>を練習している。
お風呂から出てきた時も、まだやっていた。
「つきあおうか?」「大丈夫、大丈夫」結局、朝の4時までやっていたらしい。

7月5日(日)
一人特訓の甲斐あって、今日は早々と「OK」がでた。
皆に拍手され、逸勘から抱きしめられて、頬をピンクに染めながら、東京へ帰ってい った。

「いきのね」にすんなりと入っていった。<そして満月>・・・
作品集フランス組と「いきのね」の両方のCDに入った。<たゆたい><最後の誘惑> に続く、大きさのある唄だ。
弦と弾き語り1曲を2通りに表現。
いつの日か、いろんなミュージシャンで、例えば< セクシィ>1曲10通りなんていうCDを創ってみたいというのが、所長の次の夢である 。

7月6日(月) 7日(火) 8日(水)
勘太郎さんはギターを8本も送ってきた。
それも通信所払いで。そして1本しか使わな かった。「ギターが鳴らない。弦が腐った」といいながら。
「これは桑名のもの」と 言っていた<月のあかり>、今年に入った頃から唄い出した。
下田逸郎の「この街出 ていくだけだよ。」私は結構、気に入っている。



LP陽のあたる翼の「この唄」がハワイアンに

ビッグアイランド、ハワイ島のホノカア。
4年前、ニック加藤さんの家をお借りして 、一ヶ月暮らした町。
ソングムービーに登場した町である。
ホノルルではなくヒロあ たりでレコーディングしたいという下田の希望に、ニックさんはあれこれ計画を立て てくれた。
女性歌手で素晴らしい人がいると、1枚のCDが届いた。話を進めてもらったが、スケ ジュールがあわない。
次の案、ファミリィバンドのCDが届いた。お母さんらしき人の 声が良い。再びOKを出した。
ところが突然ライブのステージ上で亡くなったという。先が見えないまま、この時点 でパリへ出発した。
フランスがスムーズに進む中、ハワイへの不安が大きく膨らむ。
ホノルルに住むギタ ーリスト、マーク(ソングムービーでマハロのギター)は、多くのミュージシャンを知 っているので、彼に集めてもらうことになった。
レコーディングもホノルルでするし かなくなった。
ちょっとガッカリしている下田にニックさんは、「まずホノカアに来 て、海で泳いで、それからホノルルに行こう。」と言ってくれた。

8月21日(金)
ヒロからホノルルへ向かった。マークとミーティング。
ウクレレ、スチールギター、 ベース、パーカッション、ギターで編成。
ボーカルのアンナは、最高の歌手だという 。
やっと見えてきて安心したのか、下田がはしゃいで飲み始めた。


8月22日(土)
スタジオは民家だった。
リビングでプレイして、はなれで音を録る。
「水平線眺めて る」のオベール・シュル・オワースを思い出す。
<ひとひら>ウクレレのアルデンは 、太っている。胸のところでウクレレがおもちゃのようだ。



彼がバンドのリーダーで、ハワイ語に訳してもくれた。
イントロが大村憲司さんの「CDひとひら」のものだ。
このオリジナルはインパクトがあるらしい。
「一回、聞いてみようか。」プールのあ る庭を横切って、はなれにやってくる。
<この唄>ハワイのパーカッション、イプが 加わった。
いよいよ唄入れ。
マークが言ったように、アンナは最高だった。
軽くてやさしい唄い 方のようにも聞こえるが、息の吹き方に安定した力強さを感じる。
唄い終わったとき 、肩で息をしている。
独特の呼吸法なのだろうか。譜割の関係でか、少し曲が変化し ている。

ハワイ語には書き言葉が無い。フラダンスは踊りの前にハワイ語を学ぶそう だ。言葉を知り、響きといっしょに身体で表現する。
言葉の大切さが伺える。
歌詞は ローマ字で書いてある。響きが美しい。
新しい唄を覚えるように、字を追った。でっ かい男性4人が、天使のようなコーラスを始めた。
ここでもリーダーはアルデンだ。
「イカマカニー・メカマヒナー」語尾をちゃんと伸 ばすように指示がとぶ。
下田が皆に「1曲、いっしょにやってもらえないかな。」皆、気軽に「OK!」とリビ ングに入ってゆく。
「こんな唄」と、<帰ろう>を唄ってみせた。
アンナが、「これ もハワイアンだ。」と言った。

最後まで不安だったハワイが「唄言葉」という下田との接点で完成した。
フランスで も、ハワイでも、ミュージシャン達が「とても良い曲だ。」と、そして、「またやろ う。」とも言ってくれた。
最高の「再びの世界へ」であり、最高のレコーディングと なった。
願わくば、一人でも多くの人に、聴いていただきたい。
下田は<PARIS 湯玉 HONOKAA>にならなかったのが、少し残念のようだった。





パリで「セクシィ」を唄い終えたベルナルドが、

「そして満月」を唄いにスタジオに 入った私に独り言のように言いました。

-そうなんだよ、自分の唄い方で唄うだけのことなんだよ-

湯玉で「踊り子」を唄っているサージュの北京語が

私の弾くリズムギターのカッティングからなめらかに

舞い上がりすべりだした時、海の上スレスレに飛んでいる自分を 一瞬感じました。


ハワイで「ひとひら」のコーラスが果てしなくくりかえされるのを聴いていたら、

なぜ私が海に潜りたがるのかわかったような気がしました。

時がやわらかくとけてゆくのです。

アルバム「いきのね」の1曲目、

勘太郎のギターが奏でるメロディ「たゆたい」の意 味は、

〜かなたこなたへゆらゆら動いて定まらない〜

ふと想うのです。そろそろ、この世の(あの世も)時間も

空間も自分のものとして自由 にやれるかな・・・と

時が流れてゆくのではない、流れてゆくのはおまえだ・・・

と誰かが言ってます。

下田逸郎

1998年 神無月



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