下田逸郎作品集
/ひとひらあわせ IV / 桑名正博 下田逸郎と唄う

2012年10月31日発売
下田通信所
¥2,500(税込み)
完売しました。



桑名正博 下田逸郎と唄う
弾き語りライブセレクション

1 はじめようと思う
2 夜の海
3 紅い花咲いた
4 サンデーモーニングブルース
5 セクシィ
6 月のあかり
7 ひとひら
8 帰ろう
9 早く抱いて
10 はじめようと思う
11 この世の夢 

作詞作曲   下田逸郎
作曲(2,6) 桑名正博
ヴォーカル(4)  桑名晴子
ベース&コーラス(1,7,8)   天野 翔
ヴァイオリン(7,8,10)  シーナ

京都/都雅都雅  大阪/S.o.R.a
神戸/チキンジョージ にて収録






              序
 病室の窓側のベッドで彼はこんもりとふくらんで横たわっていた。喉に掃除機の蛇腹のホースみたいなチューブが差し込まれていて、機械的なリズムでシュウッシュウッと空気が送り込まれている。そのたびに薄い掛け布団の下で、胴体が少しずつふくらんでいるような気がする。心臓だけは、まだ血液を身体中に送りつづけているらしく、妙に色つやのいい頬に触れてみた。微動だにしない。こめかみから頭へと手のひらを動かした。
この中で小爆発した脳幹とやらあたりは、もう廃墟になっている気配がした。コンピューターでつくった尺八の音みたいに無機質な音がシュウッシュウッと大きくなってきたような気がする。彼の頭から手を離し、ベッドの横に置いてあるパイプ椅子に腰を下ろす。こいつはもうここにはいない、とはっきり思う。神戸のミュージカルショーのカーテンコールで抱いて出てきた子犬に似たぬいぐるみが、彼に寄りそうように置かれている。
その隣で、もぬけのからになっている彼の身体は、岸辺に打ち上げられた舟みたいだ。インディアンが漁に使う幌付きのカヌー。最後部の小さな穴へ下半身を潜り込ませるカプセルみたいな、ひとり乗りの舟。やっとひとりになれたのかな。そのまま流れに出て行きな。俺もすぐ行くから先に行っててくれ。ちょっといい唄つくって持って行くから。声に出さずにそう言ってみた。
 ドラッグ・セックス・ロックンロール。1960年代後半から70年代前半。アメリカが200年かけて成り上がり、ベトナム戦争あたりで頂点を越え、エネルギッシュに崩れ落ちはじめた頃、私はニューヨークでの暮らしに区切りをつけて日本に帰って来た。日本のレコード業界の成り上がりは、まだはじまったばかりで、シンガーソングライターという名前で一枚レコードを出したところだった。同じプロデューサーと組んでいた5歳年下の彼はバンドを解散して、ソロアルバムをつくろうとしているところだった。
 「メロディはあるんだけど詞ができない」
 ばったり六本木の交差点で出会ったとたん、人なつこい笑顔で彼が言った。
 私たちは私の六畳の部屋で昼間から飲みはじめた。彼の与論島での無邪気なドラッグ・セックス・ロックンロール話で盛り上がった頃、彼は私のギターでウォウウォウと唄いはじめた。ああだこうだと言いあいながら、真夜中には詞が完成した。それがふたりでつくったはじめての唄だった。
 レコーディングで、彼は小さく爆発するように唄った。身体の奥で渦巻く正体不明のカオスを吐き出すような唄い方だった。ヴォーカリストとソングライターとしての関係がはじまった。
 ふたりの間に唄を置いて向きあった時に、おたがいの心の中にある正体不明の混沌、カオスが昇華されてゆくのを感じた。いいじゃない、と言いあった時に握手したりした。それを友情と呼ぶのかもしれないと、今頃気づく自分に唖然とする。
 彼の身体はベッドにつながれている難破船に見える。船の中はからっぽだ。
 病室に彼の妻が入ってくる。
 「きれいな顔してるでしょ」
 彼女は子犬のぬいぐるみを布団の中に入れ、その顔と彼の顔を並べてから、彼の髪を撫ぜながら言う。
 「おだやかだし、何も文句言わないし」
 どこか凄味を含んだやさしい声音だ。
 「どこかで送り出してあげないとね」そう言った私を見て、彼女はバッグの中から、私の手書きのスコアを取り出し、私に差し出す。





 「これ唄ったことあるの」
 「家では唄ってたわよ」
 彼女はもういちど布団を掛け直している。
 彼をそっと流れに押し出すのは、彼女の中のカオスが鎮まった時だろう。それは彼女自身の物語。私はそれ以上何も言えない。
 彼女は、やっと自分の所に帰って来た男をいとおしそうに眺めている。

 ドラッグ・セックス・ロックンローラーでもなく、ライブの打ち上げでも唄いつづけていたヴォーカリストでもなく、昔別れた女にも電話している男でもなく、酔っぱらって肩を抱きあった友人でもなく、ましてや桑名正博でもない、名前のない小さな舟が、ベッドの上で宙をたゆたっている。

2012年10月   下田逸郎
                             名前のない舟 序文より





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