ひとひら通信2000/3月



 ニューアルバムへ向けてレコーディング始動!
 2000.3.9 レコーディング日誌 下田通信所 所長 西谷千里
 



3月9日(木)

 「やっぱりフランスでやろうかな」
いつものように 相談とも ひとりごとともとれる話からレコーディングは開始する。
 下田逸郎の頭の中には 選曲と同時に ミュージシャン達も登場してくる。
ひとりひとりの音が聴こえているのだろう。
「ああでもない」「こうでもない」と話をするたびにコロコロと変わる。
所長になった当初は、いちいちこれに振り回されて、胃も痛くなったものだ。
所長になって8年、今では「はい、はい」とか、「ふーん」とか、うまく対処できるようになった。
年頭に過ごしたハワイ島の田舎、ホノカアで下田逸郎のイメージは最大限にまでふくらんだ。
 1月26日 仕事始め 大阪毎日放送「XXX」の番組の中、斎藤ノブを相手に公開ミーティング。
ふくらんだイメージが少しずつ現実になってくる。
有山じゅんじ、渡辺香津美、下田逸郎で結成されたスーパーギタートリオ『ネンリンズ』
いつも美しい景色を見せてくれる笛吹利明、最近いっしょに遊んでいる増田俊郎
と、日本のギターリスト達が浮上してきた。どうやら今回は日本でやることになりそうだ。

「これ聞いて」。
15曲程、入ったラフなテープが渡された。選曲の2段階目である。
  車の中、部屋の中と聴き続ける。 私の聴き方、『自分の人生に逆行してないこと』ぐらいで『いる』『いらない』の意見を出す。
私の中にも、ギターの音が聞こえ始めてきた。


3月24日(金)

 「いる」「いらない」は下田逸郎とさほど違わず12曲が選ばれた。
 神戸、京都、東京とLIVEでやってみる。
参加してくれるミュージシャン達も「オレはこの曲が一番好きだ」とか、「この唄は大きな曲になりそうだね」とかそれぞれに言ってくれる。
下田逸郎と何度か共演してくれたバイオリンの平松加奈さんとアレンジャーの島田篤さんを中心に「TAYU-TAIストリングス」も誕生し、参加してくれることになった。パーカッションは斎藤ノブ。
 大阪毎日放送のスタジオで公開リハーサルができればと只今計画中。
そしてちょうど同じ時期にハワイから来日するウクレレの第一人者ピーター・ムーンも参加してくれることになった。
大阪と東京でLIVEの予定があり、少し早めに関西空港に入る彼に、そのまま淡路島に直行してもらい、レコーディングに参加してもらう----音楽をやっている者同志として最高の歓迎ができそうだ。
 更にせっかく一同にかいするのなら、淡路島のレコーディング風景のままに神戸に渡ってLIVEなんかもやってしまおうかということになった。

5月31日(水)神戸チキンジョージ

 CDタイトルは『ワルツの時間』
これはレコーディングを考えた時にすでに決めていたようだ。
下田逸郎のワルツをミュージシャン達がどんな風に広げてくれるか、どんな景色を見せてくれるか、共有する『ワルツの時間』の中から下田逸郎の「ワルツの時間」は完成する。

                            つづく



 漂泊の天才歌人・下田逸郎
 「遺言歌」再発発起人 井上 誠
 



アルバム「遺言歌」の復刻運動に携わった井上誠さんよりメールを頂きました。

この記事は、ネット配信のミュージック・マガジンBargain America Music Magazineに掲載された内容です。
メールを頂いた井上誠さんと、記事掲載に関して快く承諾してくださったROCKJAZZ.COM!の野田さんに感謝します。

━━・C O N T E N T S ・━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
     [01] 漂泊の天才歌人・下田逸郎
                  井上 誠
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 「私は天才の道からはずれて 神の道を歩むつもりです 皆様いつまでも平 和に それではお元気でさようなら」(『遺言歌』インナー・スリーブより)

 昨年末にPヴァインから下田逸郎のファーストアルバム『遺言歌』が復刻発 売された。下田逸郎といえば、70年代中期のヒットソング「セクシィ」や 「踊り子」などの作者としてご記憶の方も多いと思う。当時のイメージは都会 的で洗礼された大人のラヴソングの歌い手、といったところだっただろうか。
しかし『遺言歌』はそれとはまったく異なる不思議なアルバムだった。


 下田逸郎は60年代末に寺山修司率いる前衛劇団天井桟敷で知り合った演出 家の東由多加らと、ロックミュージカル劇団東京キッドブラザースを旗揚げす る。彼らは1970年に渡米し、東由多加作演出、下田逸郎作曲のオリジナ ル・ミュージカル『黄金バット』をニューヨークで大ヒットさせた。
特に音楽 の独創性は高く評価され、現地のマスコミは下田を「天才」ともてはやした。
それが国内でも注目され、翌1971年に凱旋帰国すると各レコード会社が 競って下田のミュージカル・ナンバーのレコード化を希望した。『黄金バッ ト』(ポリドール)、『帰ってきた黄金バット』(キング)、『書を捨てよ町へ出 よう』(ビクター)などがわずか数カ月の間に相継いで発売され、それらの音楽 監督だった下田はまさに時代の寵児として脚光を浴びたのだ。その異常なテン ションの最中に制作されたのが『遺言歌』だ。

 そのサウンドは、琵琶と篠笛による雅なプロローグから、ハードロック、ア シッドフォーク、クラシック、演歌、プログレッシヴロック、ジャズ、そして ペルーの鼓笛隊のようなエピローグまで実に変化に富んでいたが、それらは拡 散することなく、極めて演劇的に統合されていた。
演奏は柳田ヒロ、水谷公生 らJロック創世記のトップが務め、ヴォーカルは下田以外にもリリィや元テン プターズの松崎由治、東京キッドや天井桟敷の役者たちが入れ替わり担当し た。


 それまで寺山修司や東由多加らの脚本に音楽を付けていた下田にとって『遺 言歌』は初の自作自演ミュージカルともいえるだろう。
彼はこのアルバムを完 成させた直後に東京キッドから独立し、冒頭の「遺言」を残して再び日本を脱 出する。

   しばらくヨーロッパを放浪した後、ニューヨークを訪れた下田は前回と同じ 劇場でこんどは自作のミュージカルを上演する。
その時の作詞家と出演者を連 れて1973年に帰国し、セカンドアルバム『飛べない鳥飛ばない鳥』を制 作、東京キッド時代や『遺言歌』とはまた違ったソウルフルな歌を聴かせてく れた。


筆者が下田の音楽を始めて聴いたのは東京キッドのミュージカル・ナンバー だった。
東由多加の歌詞は桜吹雪、はないちもんめ、回り灯篭などの日本的ロ マンに溢れ、下田の曲もそれに沿ってわらべうたのように素朴な美しさと儚さ をたたえていた。
『遺言歌』にも「念仏子守歌」や「遠歌(えんか)」など土 着的な作品がある。しかし2年間の海外生活の間に下田は日本的情念から意識 的に離れていったようだ。


 その後下田の音楽はますますシティ・ポップス化し、ラヴソングの鬼才とし て「ラブホテル」や「丘の上のマンション」などについて歌っていたが、19 84年にまたしても日本を脱出、しばらくエジプトに滞在。帰国した後は長 崎、沖縄、種子島、北海道などを放浪し、木こりや漁師、養豚などの職を転々 としていたという。

 1989年下田は東京に戻り、翌1990年からは年1枚のペースでアルバ ムを発表、『泣くかもしれない』収録の「ウーバンブー」や『ひとひら』の表 題曲などでは、東京キッド時代に通ずるような美しい日本的情念の世界を再び 披露してくれた。
 1995年からはキティから、さらに1997年にはコロ ンムビアから新作が次々とリリース、1999年にはソニー時代の旧作を集め たベスト盤も発売された。

 1999年5月、下田は渋谷ジャン・ジャンで弾き語りライヴを行なう。
デ ビュー曲「霧が深いよ」から最新曲までの30年間を時系列に沿って歌い語る ステージは『下田逸郎物語』という2枚組CDに収められた。そこでは『遺言 歌』からの歌も、ニューヨークで作った歌も、「ラブホテル」も、漁師時代に 作った歌も、すべてがギター1本のシンプルな伴奏に乗せて同列に歌われてい る。
いっさいの飾りを廃した丸裸の状態で歌われる30年分の歌は、どれも今 現在生まれたばかりのような輝きを放っていた。


 デビューアルバムから天才、鬼才の名声をほしいままにしてきた下田逸郎。
サウンドのジャンルやメッセージ、ファッションなどを超えて音楽そのものを 聴こうという意識の高まってきた今こそ、下田逸郎の歌は聴かれるべきなのか も知れない。

                            井上 誠




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■2000年2月:●たゆたい ストリングスアンサンブル誕生!。●「遺言歌」の紹介記事情報。
■2000年1月:●「時間を越えるチャンス」。●XXX情報。
■1999年12月:●「1999年のラブソング」。●XXX情報。
■1999年11月:●「弓矢のように」譜面。●XXX情報。
■1999年10月:●TVCMで「セクシィ」流れてます。●映画「皆月」で「早く抱いて」が主題歌に。
■1999年夏号:●「下田逸郎物語」本&2枚組CD発売しました
■1998年秋号:●「PARIS 湯玉 HAWAII」&「いきのね」レコーディング日誌
■1997年春号:●「あ・そ・び・な」全曲紹介&レコーディング日誌



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