所長のひとひら通信2010/12月





 〜2010.12.29〜
  所長のひとひら通信5
                下田通信所 所長 西谷千里



 

  12月4日、福岡県飯塚市筑穂長尾の公民館で下田逸郎・下村陽子のライブをしました。
今はなき、炭鉱で栄えたところです。ニューヨーク公演に、盆踊り「長尾思案橋」で参加したメンバーの地元です。
  ここから車で6分のところに通信所はあります。
 3年にして、先日初めてイノシシに出会いました。田んぼに転落防止用のガードレールにとまっているフクロウにも会えました。車を止めて、窓を開け「なにしてるのん?」と話かけても逃げません。「縁起がいいばい」らしいです。
  筑豊弁は博多弁と少し違います。「しぇんしぇい、しぇなかに、しぇみが」「そうばい」「しぇくしいが一番好きばい」アメリカ人の英語の先生 ロバートも「そうばい」と普通に言ってました。
  この長尾公民館で、月に2度、「思案橋保存会」の練習があります。「保存会かなあ?」という高い年齢層で構成されています。ニューヨーク公演の練習もここでしてきました。

  下田さんは、「この公民館でライブをしたい」と言い出し、「ならば、俺がやる」と長尾の自然食品の店“げんき“の店主、田中仁君が企画をして、「長尾思案橋」の歌と踊りの指導者である矢野先生が、舞台づくりを買って出てくれ、「もう、10歳若かったらねえ!」とニューヨークには行けなかったおねえさん方も、長い花道を張り切って唄い踊ってくれました。
 矢野先生の娘、智子ちゃんは、花婿の着付けをしている人で、打ち合わせなどで、帰りも遅くなる仕事です。ニューヨーク公演の練習にも1回しか参加できず、子供のときから踊っているそうなので、心配はしていませんでしたが、十日間、仕事を休めるかどうか。最終的には、くびを覚悟で参加してくれました。
  12 月4日も無理かなあという中、ライブがスタートして、後4曲で思案橋という時、「着物は?」と滑り込み、4曲目の頭には、着物姿で「踊りを忘れたあ!」と言っていました。ニューヨーク公演のDVDも流しつつ、大きな画面の智子ちゃんの前で実物の智子ちゃんが踊り、地元の人たちは、大盛り上がりでした。
 ステージの上で、智子ちゃんと下田・下村は、「どうも」「お久しぶり」と挨拶を交わしていました。

 

 ニューヨーク公演の最終日のステージが終わったとき、韓国舞踊の金理恵さんに、「知らないおじさんが、裸に近い状態でいたんだけど、誰?」と聞かれました。エンディングで初めて目にしたので、びっくりされたのでしょう。
「私がスーパースター」に出てくる濱口信雄さん。エジプトから帰ってきた下田さんに、草刈を教えた人です。66歳の今も、体力に自信があり、毎日、L字懸垂を軽く30回はしているので、「NYでもやろうよ」という下田さんの罠にはまった一人です。舞台美術のWATOKUさんに「鉄棒、作って」「無理だよお」「作ってよ」「30万かかるよ」「安く作ってよ」「余裕なし」を延々繰り返し、ほとんどあきらめた最終日、立派な鉄棒が完成していました。前日までふてくされていた濱ちゃんも、体操選手のイメージで用意した衣装が気に入り、後で聞いた話では、ホテルの部屋でも着ていて、腕立て伏せなどをやってみせたとか。自分で、鉄棒を持って出て、ステージにあけた穴に差し込み、懸垂をして、また持って帰る。多少の緊張と結構な重さで、「誰も知らない」の1番と2ばんの間奏で30回の懸垂の予定は半分にも足らず、編集の段階で下田さんは顎の上がった濱ちゃんをカットして、写真を挿入しました。濱ちゃんはそれがちょっとご不満で「最後まで入れんかったとね」と寂しそうでした。
 濱ちゃんの懸垂は、出演者にも内緒にしたかったのですが、ステージに支障があるといけないので、とりあえず、「誰も知らない」の演奏者・歌手の方々には、お知らせしました。「見てもいいですか?」と下村さん。
 本番で、濱ちゃんが鉄棒を手にしたとき、障子スクリーンの映像を担当していた人が、おもわず自分のバックから、カメラを取り出していました。2機のDVDプレイヤーから
目を離したことのない彼が、席を離れ、濱ちゃんの後姿を撮っていました。終わって、WATOKUさんが、「下田さん、幸せそうだった?」と聞いてくれました。

 12 月4日も濱ちゃんの懸垂も見たいということになり、鉄棒探しに走りました。昔流行したぶらさがり健康機がいいということになり、持っている人に「貸して」と言うと「出来るならあげたい」と入手。NYから持ち帰った衣装で登場。NY公演のDVDを流さないと何のことかわからないといけないからと上映。二人の濱ちゃんに、場内大拍手。今夜は濱ちゃんも幸せそうでした。

 和歌を吟じた田中二郎さんは、蕎麦打ちの趣味を生かして、一年前に「そばじろう」を開店しました。昼間4時間だけの営業です。そのそばじろうに、たった一人一升瓶をキープしている人がいます。持参キープです。まもなく80歳になろうとしているおねえさんです。若い者からも「ひでちゃん」と愛されています。田中仁君の証言では、自然食品の店“げんき”の前を午前11時頃、元気いっぱいに駆け抜けていきます。2時頃、フラフラと戻って来る。ひでちゃんを知らない人は、年寄りだからフラついていると思うだろうが、実はすでに酔っているそうです。「40の時に、旦那を亡くしたけんね。酒を飲んでなかったらウツになっとったばい」「旦那から息子たちへの遺言が、酒だけは飲ませてやってくれ!やったもん。大威張りで飲んでよかばい」と言います。「お嬢様ではなかばい。ばってん、学校に行くときにぞうりを揃えてくれるような人はおったばい」どういうお方?炭鉱で栄えていた頃の遊郭に生まれたお嬢様らしい。「コップ酒で花札をしているらしいよ」と下村さんに言ったら「この次は、コップ酒も花札も参加したい」と。

 

 ライブが終わって、50名参加のもつなべ忘年会。いつのまにか、下田さんの横に立って、割り箸の袋を縦半分に折ったのを片手に歌いだしたのが小石ねえさん。よくよく聞くと、春歌である。じじいが歌うと下品な下ネタも、85歳のばっさまが歌うと、何ともかっこよい。この方も、今は無き長尾劇場のお嬢様だったそうで、手押しの回り舞台・奈落が今は池になっているそうです。「いまどき、あんな庭はちょっと無いばい。一回、見てこんですか?」と二郎さんにいわれました。劇場を遊び場にしていたのだろうなあと思わせる立ち姿でありました。下村陽子さんは、必死で歌詞を覚えようとしていました。

 ひでちゃんに「下村陽子がコップ酒で花札に参加したいそうです」と言ったら、「花札ちゃあ、なん?」「見たことが無いばい」

 大変お待たせいたしました。NY公演のDVD,まもなく、すべての契約書のやり取りが終わります。やっと、販売できるところにきました。多くの方に見ていただきたい作品になったと思います。
お早めにお申し込み下さいますよう、お願いいたします。
今年は、本当にお世話になりました。どうぞ、よいお年をお迎えください。


2010年12月29日

                               下田通信所 西谷千里







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