![]() 『この唄』 1999年発売の『下田逸郎物語(自伝&譜面集)』の際、 お蔵入りになった「あとがき」を下田さんよりいただきました。 |
![]() この唄を唄いおえたら 消えてゆくよ だからやさしく あなたに 唄うよ この恋もいつかは 消える時がくるよ だから本気さ 抱きしめたいのさ 昨日の風が明日に向かう時 小さな雨が おもいで 消してゆく はじめて、唄と景色がいっしょに浮かびあがって来たのは、小学生の頃だと思う。まだテレビはなくて、その唄はラジオから流れてきた。 〜泣けた泣けた こらえきれずに泣けたっけ〜 春日八郎「別れの一本杉」は、そうやってはじまる。 〜一本杉の石の地蔵さんのよ〜 ラジオのずっと向こうに、サワサワと稲穂が揺れて、山には煙がたなびいていた。村の分かれ道、ふたまたになったところに、天を指さすような杉が一本立っている。その景色を私は知っていた。 春日八郎は、私の知らない景色も唄っていた。いや、心のずっと奥では知っている景色かもしれない。 |
![]() 〜山の吊り橋や どなたが通る〜 「山の吊り橋」の出だしだ。 クマ撃ちの男がよっぱらって通る。恋人が街へ出ていってしまったのを悲しむ娘が通る。そのたびに吊り橋は 〜それ ゆぅら ゆぅら〜 と揺れる。 それは小学生の途中までは、私のまわりにあった景色だった。一本杉や吊り橋が実際に近所にあったわけではない。その気配とまっすぐつながっていた景色があったということだ。木の橋が小川にかかっていたし、菜ノ花畑の黄色のずっとむこうに山がかすんでいるのが見えていた。 唄があり景色がある。まだ人間は、その景色の中でクッキリとした映像にはならず、ぼやけてはいたが、唄のむこうの景色を見させてくれた唄であったことだけは確かなことだった。 |
![]() 言葉の意味ではなく、そのメロディーと英語の響きからの景色を最初に感じさせてくれたのは、ナット・キングコールの唄っていた「ネイチャーボーイ」だった。 〜There is a boy〜 中学生の私にもわかる英語からその唄ははじまっていはいた。あとはほとんどわからなかったが、 〜Very Far Very Far Over Land & Sea〜 と、そのメロディーが、たおやかな大地とそのむこうの水平線を浮かび上がらせた。 それは不思議なメロディーを持った唄だった。ナットキングコールの声と、ストリングス、それにクラリネットあたりだったと思うが、木管楽器とのアンサンブルが、さらにその景色の描く曲線を大きくうねらせていた。 ちょうど高校受験の準備をしなければならない時期にもかかわらず、成績は落ちる一方。グレ方もまだ知らず、女にも興味を持ちはじめ、父親も母親も他人に見えてきて、どこか悶々としていた。そこに曲線を描いて入ってきたその唄は、私を誘いこむ景色を持っていた。旅への想いと、現実からの脱出願望をかき立ててくれた。しかし、それが自分の心の奥から湧き上がってくるものになるには、まだまだ時間がかかりそうだった。 「ネイチャーボーイ」は、まだまだ何も知らない私にとっての、はるかかなたからの子守唄だったのかもしれない。 |
![]() 高校をとりあえずなんとか卒業して、ガールフレンドと井之頭公園で、のほほんとデイトなんかしていた。先行き不安、でも少し胸ときめかせる女は眼の前にいた。 ボブ・ディランの「LIKE A ROLLING STONE」は、そのへんの私の甘さも切なさも、真正面から砕いてくれた。 〜どんな気分だい、石っころみたいに どんどん転がり落ちてくのは〜 こんなこと唄にしていいのか、という感じだった。エレキとドラムがジャカジャカジャカカカ、とグチャグチャになってそのまま進んでゆく。チンドン屋の発狂。酔っぱらいの機機関銃みたいなタンカ。女に対する真っ向からの捨てゼリフ。 ちょっと落ちこぼれのポーズに酔っていた私の眼の前に、とんでもなく魅力のある、ボロボロの女が突然立ちはだかり、このガキが何言ってるのと、露骨な女の眼つきをチラッと見せていた。その女の肩越しに少しだけのぞいている景色は、多分ニューヨークあたりの街角で、そのすさみかたも、汚れかたもパワフルであった。 井之頭公園の池につくられている、やらせっぽい橋のまん中で、ぎこちなくキスなんかしてる場合じゃないのかもしれない・・・その唄は、私の幼い欲望なんか軽く無視して、ゴロンゴロンと通りぬけて行った。 そのあとに、 〜満足なんかできやしない〜 ローリング・ストーンズの「サティスファクション」がやってきた。 当時、爆発的な人気を築き上げていた、ビートルズの裏で、ローリング・ストーンズはロックンロールのみで押しまくっていた。 日本では、加山雄三が「君といつまでも」を唄っていた。その裏で、荒木一郎が「いとしのマックス」をグレまくってテレまくって唄っていた。 私は、荒木一郎の、そしてローリングストーンズの唄に浮かぶ景色を追いかけはじめていたようだった。 ここではないどこか、この場所の外側へ。今の私ではない誰か、この自分ではない外側へ。そっちの景色へ向かっている唄。その唄だけが私を誘っていた。壁は見えていた。グルリととり囲まれてはいた。しかしよく見れば、その壁はひび割れていて、その気になって叩けば崩れ落ちるように見えた。そこまでしなくても、よじ登れば超えられそうなところもあった。さあ行けーそう言ってくれる唄を、あっちの景色をスキマからのぞかせている唄を探して見つけて聴いていた。でも、それはなかなか見つからなかった。これだと思ってもすぐに飽きてしまう。あれもこれもと目移りしてしまう。決定的な唄はなかった。致命的な唄でも良かった。私の普通の息の根を止めて、特別な生命を授けてくれる唄。それは、さらになかった。 そして、私は唄をつくりはじめた。 |
![]() 〜この世に神さまが ほんとにいるなら あなたに抱かれて 私は死にたい〜 その唄「夢のさざなみ」をつくった浜口庫之助に師事した。唄の景色の中でではなく、唄の景色をつくっている生身の人間に、はじめて出会った。 私の中に景色がある。景色の中に私がいる時も、いない時もある。それは私が実際に見た景色でもあり、そこにいる私は実際の私でもあり、私がつくる私の中の登場人物でもある。そうなると景色も私の中に重なっているいくつかの景色からつくられたものかもしれない。私にとっての唄とは、私がつくった景色の中からはじまる旅のことでもある。旅をつづけるための乗りもの、それが唄だ。私の中で、その唄がとても自然に旅をしていることもあるし、まったく不自然にぎこちなく移動している時もある。その両方を楽しめるようになりはじめたのは最近のことだ。と同時に、私の中からうまく脱出に成功した唄も、少しずつ出てきた。また話がややこしくなりそうだ。つまり、ここからは、自分でつくった唄の話をしようとしている。唄の解説をする気はない。唄とその景色についての話のつづきだ。私から旅立とうとしている唄の話である。 |
![]() 〜夜明け前には帰ろう あなたのそばで眠ろう 好きだから あーぁ 子供みたいに眠ろう〜 ニューヨークでつくった「帰ろう」は、私の背中をいい感じで軽く押してくれた。その唄は、おまえはおまえの旅をしろ、唄は唄で行くから大丈夫、と言ってくれた最初の唄だった。ミュージカルのナンバーではなく、自分自身のためにつくりはじめた唄の中から、そんな唄が生まれてきたのは新鮮なことだった。私がはじめてギターで唄った時、ビッキーはすぐ「KAEROU」とコーラスでオブリガードを唄った。アレックスはゴスペル風に、英語でシャウトしながら唄い出した。その唄は、唄自身が旅に出て人と出会うパワーを、すでに持っていた。ニューヨークの友人たちといっしょに、その唄は日本へと旅をした。私はその後を追いかけていただけかもしれない。レコーディングスタジオの中でも、「帰ろう」は、いちばん空気を捕んで展がって行った。たったひとつの唄が、私の旅の景色を一変させ、未知の世界へと手をひっぱってくれた。 〜自分の中へ帰ろう こわがらないで帰ろう 好きだから うーぅ 哀しさも連れて行こう〜 この唄から、私がつくる唄が、私の道づれであることは疑う余地のないものになった。 そんな大事なことを、今だに時々忘れることがあるのは信じられないことだけれど・・・。 |
![]() 唄に対するつっぱりはとれたけれど、女に対するつっぱりはなかなかとれなかった。いや、と言うより、そのつっぱりに気づくことさえなかった。 〜恋のおわりはいつも同じ だけど今度だけ違うの 何かが〜 「踊り子」は、旅のエアーポケットで生まれた。間がさしてできちまった唄がある。なんだかんだと、頭の中で何か組み立てては壊し、あざとさと闘いながら殺られたり、自分と簡単に手を打って見失ったりしながら、唄をつくっている時。もうどうにもこうにも身動きできなくなって立ちすくむ時がある。一瞬、思考も感覚も希薄になって身体の力もフワッと抜け、ギターをただただ弾くと、唄がいつのまにかそこに居る。稀にそんなことがある。 〜まわる人生のステージで 踊るあなたの手 ふるえてきれいね〜 一瞬のストップモーション。そこに過去も未来も今さえも一気に流れこんでくる。 その唄には呼び込むパワーがある。 恋とか夢とか言ったらぼやけてしまう何かの芯の部分と向かいあうものがある。もちろん、そうなった時にも、唄は私からはるかに遠く、とっくに旅に出ている。そしてそこからゆらゆらと私を眺めている。 |
![]() 〜あなたを愛して気づいたことは そうね 私も誰かを 探してること〜 自分、自分と夢中になっている私を、眺めている唄。それがどれだけ私の中の私を救ってくれたかわからない。 もともと自分でつくった物語にがんじがらめになってしまった自分がいる。そのことを気づかせてくれた最初の唄かもしれない。 「早く抱いて」は、長崎の最南端にある小さな島、樺島でつくった。 唄がレコードになる。毎年毎年アルバムをつくり、プロモーションとかキャンペーンとかの宣伝活動をやる旅がつづく。少しレコードが売れる。そのたびに、旅は本来の旅ではなくなる。売るという目的を持った単なる全国移動になってくる。人間としての旅ではなくなる。当然、唄のパワーは落ちてくる。唄は人間を見ている。旅のできない人間の中には入ってこない。 自分も唄もわからなくなった。ひさしぶりに脱出願望が大きくふくらみ、あちこちへと逃げた。最後に逃げ切れるわけのない自分が自分の中に残った。からっぽの頭の中に、エゴの脱けがらだけが横たわっていた。しばらくギターを持たずに全国を歩いた。草刈りや炭焼きをやり、山の中にみんなでプレハブを建て、そこに住まわせてもらったりした。そしてつかのまの居そうろうで、樺島の木造の2階にポツンとたどり着いた。その唄は、その2階の小さな部屋の片隅で私がたどり着くのを待っていたのかもしれない。 〜早く抱いて うまく抱いて 何をためらっているの 間がずれると はがれ落ちるの なだめつづけてきた恋は〜 背後に神社のある裏山をもつその家は古く、近くの路地は細く曲がりくねっている。路地をぬけると小さな漁港があり、当時はすぐそこに見える対岸への渡し船があった。昔々、船が交通手段だった時代には栄えたこともあったという風情はまだかすかに残っていて、その唄がそこに居たのは当然のような気がした。 〜いのち抱いて 深く抱いて 今までのことは忘れ なぜか急に 気づいたみたい 私 あなたになれないと〜 自分がやっと自分から遠ざかって行く感じがした。自己顕示欲。自己満足。自己愛に自己宣伝・・・・・。それがいちばんやっかいだったことを、その唄は伝えてくれたようだった。 〜だから今 見つめている 愛も幻 だと〜 その唄も、やっと、その島から旅立てるような気がした。 そして、やっぱりその唄の後から、私という幻も再び旅に出る気になったようだった。 |
![]() 景色のむこうに唄がある。もしそこに景色が見えるならば、その中に入ってぬけて行けばいい。唄がそこに居る場合もあれば、実はずっと背中のななめ後あたりにいて、突然表われてくる場合もある。ひとつ出会えれば、その唄のむこうに景色は浮かびあがってくる。景色の中には人間がいる。その景色をおおい隠してしまうぐらい近づいてくる場合もあれば、景色のいちばん遠くでかすかに手を振っているのが見える場合もある。それは自分でもあり、また見知らぬ他人でもある。その旅は果てしなくつづくように思える。そう思える時、私はしあわせらしい。あとのことはわからない。だから・・・・・。 唄の話は、唄でおわるしかない。 〜今はただ見つめているよ あなたの顔 だから黙って 泣いてていいのさ 時間だけ流れてゆくの こわいことさ だから この唄 あなたにあげるよ 昨日の風が 明日に向かう時 小さな雨が おもいで消してく 時間だけ流れてゆくの こわいことさ だから この唄 あなたに あげるよ |
![]() ひとひら通信のバックナンバーページ ■2000年7月:●『ワルツの時間』12枚の絵。下田逸郎エッセイ ■2000年6月:●『ワルツの時間』レコーディングを終えて●下田逸郎ロングインタビュー最終回 ■2000年5月:●『ワルツの時間』レコーディングが始まります●下田逸郎ロングインタビュー2 ■2000年4月:●東由多加に捧げる●『ワルツの時間』レコーディングを直前に控えて ●下田逸郎ロングインタビュー1 ■2000年3月:●レコーディング日誌。●「遺言歌」の紹介記事掲載。 ■2000年2月:●たゆたい ストリングスアンサンブル誕生!。●「遺言歌」の紹介記事情報。 ■2000年1月:●「時間を越えるチャンス」。●XXX情報。 ■1999年12月:●「1999年のラブソング」。●XXX情報。 ■1999年11月:●「弓矢のように」譜面。●XXX情報。 ■1999年10月:●TVCMで「セクシィ」流れてます。●映画「皆月」で「早く抱いて」が主題歌に。 ■1999年夏号:●「下田逸郎物語」本&2枚組CD発売しました ■1998年秋号:●「PARIS 湯玉 HAWAII」&「いきのね」レコーディング日誌 ■1997年春号:●「あ・そ・び・な」全曲紹介&レコーディング日誌 |
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